会社沿革
COMPANY

1971
昭和46年

12月18日 ダイハツ輸送株式会社 設立

日本の本格的なモータリゼーションの進展を受けてダイハツにおいても生産・販売・輸送体制の整備を進めるために、ダイハツ自動車販売(株)の輸送事業部を母体にダイハツ輸送(株)を設立。自動車生産拠点としては、池田工場(ダイハツ工業(株)本社工場)、西宮工場(旧旭工業(株))、前橋工場((株)ダイハツ前橋製作所)の3工場。ダイハツ輸送(株)は池田本社、西宮分室、前橋分室および7営業所(苫小牧、塩釜、千葉、坂出、大竹、下関、福岡)体制でスタート。初代社長は、原信一が就任。

1973
昭和48年

京都分室開設

小型自動車専用工場として京都工場が稼働し、同時に西宮工場を閉鎖。
この工場移転に対応して、京都分室を開設。

京都分室
京都分室

1985
昭和60年

九州地区への揚地港に下関港と新たに大分港を追加(大分営業所を開設)

九州全域の物流改善の一環として、大分市乙津港隣接の地に土地を確保し、熊本、大分、延岡、宮崎、鹿児島向け輸送拠点として、大分営業所を開設。

大分営業所
大分営業所

1986
昭和61年

自動車専用船“ダイハツ丸8”就航

老朽化した日宝丸(旧軽自動車220台積載)に代えて、総トン数699トン(旧規格軽自動車430台積載)のダイハツ丸8を就航、主に九州、四国向けに就航させ、輸送効率化を実現。

ダイハツ丸8
ダイハツ丸8

1989
平成元年

ダイハツ工業(株)滋賀第2工場で軽自動車、
小型乗用車の生産開始に伴い滋賀分室を開設

ダイハツ工業(株)最新鋭の工場として、滋賀工場が操業を開始し、同時に滋賀分室を開設。この結果ダイハツの生産拠点は池田、前橋、京都、滋賀の4ヶ所となり、ダイハツ輸送も池田(本社)及び前橋、京都、滋賀の3分室体制になった。

滋賀分室
滋賀分室

自動車専用船“ダイハツ丸”就航

総トン数499トンと小型船だが、神戸港を起点として瀬戸内海を中心に小ロット・多回運行による効率化を実現。

1990
平成2年

塩尻営業所開設

東西に分かれた生産拠点(池田、京都、滋賀工場と前橋のダイハツ車体(株))からの完成車輸送の合理化を目的に、東西のほぼ中間点にある、長野県塩尻市に3,960m2の土地を確保し、中継輸送を開始。東西間のダイハツ輸送(株)の体制は、本社と京都・滋賀・前橋の3分室、及び苫小牧・塩釜・千葉・塩尻・坂出・博多・大分・宮崎の8拠点となった。

塩尻営業所
塩尻営業所

1992
平成4年

貨物自動車運送事業を開始(自社便の設立)

乗務員10名を新規採用、セミトレーラー10輌を購入し、自ら商品車輸送を開始。セミトレーラーによる商品車輸送のノウハウの取得及び自らの手による物流改善を実施。2021年12月現在、乗務員8名、セミトレーラー9輌にて運用中。

自社便の設立
自社便の設立

1995
平成7年

阪神大震災(道路網・港湾施設など壊滅)

1月17日早朝、京阪神地区を襲った大震災の影響を受けた。池田・京都・滋賀3工場の操業がストップし、完成車輸送体制も壊滅。完成車の積み出し港(神戸港第四工区)の岸壁が崩壊し、船積み待ちの商品車約1,100台が岸壁に取り残された。神戸と大阪・京都をつなぐ阪神高速道路の倒壊をはじめ、国道2号線・国道43号線など神戸方面の道路網は全線通行不可能。このような状況のもと、暫定的に大阪港を積み出し港に変更し、全国のダイハツ輸送協力会社のご支援を得て、神戸港から使用可能商品車の引き上げや、工場操業開始後の商品車輸送に全力で対応した。

阪神淡路大震災
阪神淡路大震災

1997
平成9年

安全輸送教育(商品車安全輸送競技会)の充実

ダイハツ輸送安全対策委員会、ダイハツ輸送協力会の共催による商品車安全輸送競技会を開催。これは、協力会社の代表選手を集め、実際に完成車の積み降ろし作業を行い、その作業状況を安全対策委員会(現:安全推進委員会)が評価し、指導するもの。第1回は1997年10月、参加人員は約120名、各輸送協力会社のトップも立ち合い、緊張感あふれた有意義な競技会となった。

商品車安全輸送競技会
商品車安全輸送競技会

2001
平成13年

大興丸21就航

海上輸送能力の増強及び2004年度末に計画されている大分工場からの出荷を想定して、興國海運船籍で1月25日に就航。総トン数は1,848トン。従来の専用船に対し1.2倍の積載能力があり、3月ピーク時の輸送に威力を発揮。

大興丸21
大興丸21

2002
平成14年

創立30周年

福祉車両を池田市に寄贈。

2004
平成16年

大分分室を開設・福岡営業所および大分営業所を廃止し集約

ダイハツ九州(株)稼働開始を受け、商品車輸送における要所を中津港に構えたことで、福岡・大分にもともとあった営業所を大分分室に集約。

大分分室
大分分室

尼崎物流センター完成

ダイハツ九州(株)からの荷揚げを尼崎港で行うことで関西での受入体制を強化。

2005
平成17年

池田本社・中央プールにてPDI(納車前点検)事業を開始
(以降、池田PDI)

兵庫ダイハツ販売(株)から受託を受け、洗車・部用品(マット・バイザー・ナビゲーション等)取付・コーティング・納車前点検を実施。

2006
平成18年

大分県中津市植野にてPDI(納車前点検)事業を開始(以降、中津PDI)

大分ダイハツ販売(株)から受託を受け、洗車・部用品(マット・バイザー・ナビゲーション等)取付・コーティング・納車前点検を実施。

2007
平成19年

ISO14001 2004年度版認証取得

無事故・無違反チャレンジコンテスト 金賞受賞

チャレンジコンテスト金賞受賞
チャレンジコンテスト金賞受賞

2008
平成20年

尼崎出張所を開設

大分からの船揚げ増に伴い、尼崎港から直接配送できるよう、尼崎物流センター内に配車機能を持った出張所を開設。

ダイハツ丸就航

総トン数は3,206トン、興國海運船籍で5月24日就航。尼崎港→坂出港→中津港→松山港→尼崎港を巡航し、関西生産車と大分生産車の瀬戸内輸送に大きく貢献。

ダイハツ丸
ダイハツ丸

2009
平成21年

ダイハツ丸2就航

総トン数は3,206トン、興国海運船籍で6月29日就航。尼崎港→中津港→宇品港→尼崎港を巡航し、大興丸21、ダイハツ丸とともに、3船で関西生産車と大分生産車の瀬戸内輸送に大きく貢献。

ダイハツ丸2
ダイハツ丸2

2011
平成23年

東日本大震災、塩釜配車センター移転

3月11日の東日本大震災では、港、塩釜配車センターが津波の被害を受け、輸送が一時停止した。そのため、東北方面の輸送は関東からの陸上輸送に切替。また積載車の被害を受けた(株)宮城陸送にセミトレーラー2台を提供。

東日本大震災(塩釜)
東日本大震災(塩釜)

九州PDI開設

11月11日、ダイハツ九州(株)構内にPDI工場を建設し、中津PDIより移転。(以降、九州PDI)大分生産車は生産後すぐに、また関西生産車についても、船揚げ後出荷前にPDIが可能となった。取引販売会社は以前より受託していた大分ダイハツ販売(株)、佐賀ダイハツ販売(株)、ダイハツ長崎販売(株)、熊本ダイハツ販売㈱ の4販社に、宮崎ダイハツ販(株)、鹿児島ダイハツ販売㈱ 、岡山ダイハツ販売(株)の3社を加え、ダイハツグループPDIモデル工場を目指し、稼働開始。

九州PDI
九州PDI

2020
令和2年

第60回交通安全国民運動中央大会にて表彰

1月22日、一般財団法人全日本交通安全協会と警察庁の共催(内閣府・文部科学省・国土交通省後援)による第60回交通安全国民運動中央大会が、東京都文京区の文京シビックホールにて開催。秋篠宮皇嗣同妃両殿下の御臨席を仰ぎ、全国から関係者約1,700人が参加。当社は多年にわたる交通安全活動の推進について表彰され、盾および表彰状を授与された。

第60回交通安全国民運動中央大会表彰
第60回交通安全国民運動中央大会表彰

九州PDIにて延岡ダイハツ販売(株)・琉球ダイハツ販売(株)からの受託を開始

2021年4月現在、各PDIの状況(取引販売会社数および累計作業台数)は下記の通り。
池田PDI  2販売会社 201千台
九州PDI 14販売会社 208千台(中津PDI時代から) 総累計 409千台